千葉市制100周年「特別史跡加曽利貝塚」発掘調査現場や出土品をお豆腐で表現してみた!

はじめに(地元千葉市のお話をします)

おつかれやまです。劇団みちたかです。

突然ですが、皆さんは「日本の歴史」はお好きですが?

日本史となるとやはり戦国時代や幕末が人気だとは思いますが、今回は僕の地元・千葉市のオモローな事をご紹介したいと思います。ちなみに縄文時代です。

千葉県千葉市若葉区には「特別史跡加曽利貝塚」という史跡がございまして、そこはいまから5,000年から3,000年前に長きに渡り縄文人が住んでいたいわば「ムラの跡」でした。

歴史深いこの地では、2020(令和2)年10月から11月にかけて発掘調査を実施。
博物館では(令和3年3月13日(土曜日) ~ 5月9日(日曜日))その成果が出土資料を中心に展示・紹介されました。


いまとなっては展示期間は過ぎて終了となってはしまいましたが、日本の貴重な歴史を孕んだこの史跡をぜひご紹介したい!ということで、ここではその発掘の成果を見て踏まえ、出土資料をなぜかお豆腐アートにして表現してみたいと思います。

発掘現場から出土品まで豆腐。結構壮大かもです。

「特別史跡加曽利貝塚 令和2年度発掘調査速報」をお豆腐で表現

ということで、こちらは加曽利貝塚内にある千葉市立加曽利貝塚博物館です。

前述した令和2年度に実施した発掘調査で出土した土器や石器などの発掘成果がこちらで速報展というかたちで展示。
2020(令和2)年10月から11月にかけて実施した特別史跡加曽利貝塚の発掘調査について、出土資料を中心に発掘調査の成果が紹介されておりますぞぃ。
また、同地点を調査した1964(昭和39)年の調査成果も併せて展示し、その様相を展示されております。


「特別史跡加曽利貝塚」についてもうちょい補足

千葉県千葉市若葉区にある特別史跡加曽利貝塚。
この地は平成29年(2017)年10月、史跡の中でも「学術上の価値が特に高く、我が国文化の象徴」として、貝塚として初めて国の「特別史跡」に指定されたやべぇところです。

こちらは加曽利貝塚の上空写真でやんす。
縄文時代中期後半(約5,000年前)からこの地には縄文パイセン(縄文人)が住みはじめ、大きなムラをつくり約2,000年もの間、生活していたとされています。

貝塚は「集落のあと」ってことなのでやんすね。
この加曽利貝塚は大きく分けてふたつ。
直径約140mで環状の形をした北貝塚(きたかいづか)と直径約190mで馬の蹄みたいま形をした南貝塚(みなみかいづか)。
この両貝塚は時期の異なる2つの大型貝層が連なることで「8の字」状に見え、東京湾東岸の大型貝塚群の中で最大規模を誇るのでやんす。

ちなみに貝層(かいそう)ってのはこんな感じです

こちらは北貝塚の貝層断面施設(北貝塚)でやんす。
写真右手にいらっしゃる方と比較するとそのデカさが分かりましょう。
そしてこの貝層から、いかに時間をかけられて積まれてきたかが窺い知ることが出来ると思います。

すごい視感。
集合体恐怖症の方にはきついかもです。
ここでは発掘されたまんまの断面が間近で観察出来ますぞぃ

こちらは南貝塚側の施設です。
貝塚から剥ぎ取った断面を見られますよ。

いよいよ「特別史跡加曽利貝塚 令和2年度発掘調査速報展」を「お豆腐アート」で表現

さてさて、ということで今回は日頃から記事にもしている「お豆腐アート」を駆使して、発掘現場と出土品をお豆腐で表現していきたいと思います。

ちなみに加曽利貝塚に関連した作品としてですが…

おさらい①:お豆腐アート縄文編「山形土偶」

こちらは過去製作の山形土偶(やまがたどぐう)です。

顔が山形をしているところから山形土偶と呼ばれています。

山形土偶は、縄文時代後期中葉の関東地方でさかんに造られていたそうです。

ただ、こちらは豆腐で出来ていたので、土偶というより、豆偶(とうぐう)といったところでしょうか?


縄文パイセン(縄文人)の気持ちになって形作り……

出来上がったあとはお鍋にして頂きました。味はキムチ風味でした。

おさらい②:お豆腐アート「竪穴住居」

竪穴住居も…。

麻婆で美味しく仕上げてみました。
美味しく頂くまでがお豆腐アート。

こんな感じが「お豆腐アート」です。

それでは「発掘豆腐調査」を始めましょう。
まずは発掘調査の現場づくりからです。

今回の「令和2年度発掘調査」の調査区は南貝塚だっつうの

今回の調査目的はかつて昭和39年に発掘調査された調査区(「トレンチ」というらしい)の再発掘がそれらしいです。
くわえて、貝塚の中央部の様相把握。
縄文時代のパイセン方が住まわれた住居跡など(遺構というらしい)とその名の通り貝の積まれた層(貝層)の位置などの解明などとのこと。

ちなみに実際の発掘現場の様子をば

実際この発掘現場を仕込むまでには、まずは原っぱを重機や人の手で手間暇かけるのですがここは端折っておきます。
調査期間は令和2年10月1日~11月28日まで。調査面積は896㎡!
千葉市埋蔵文化センターさんの全知全能をかけての調査。
見ているだけで気分は「マスターキートン」よろしくな感じ。

調査区を「お豆腐」で形作る

遺構配置図はこちら。
令和2年度発掘調査現地説明会での資料をもとに調査区を刻んでいきましょう。
ちなみにお豆腐の種類は木綿豆腐を使います。

調査区をお豆腐で表現するとこんな感じ

引きで撮るとこんな感じかなと…。
この調査区は実はフラットではなく、斜めな感じで穴が掘られている場所もあり。
そこを意識しながら溝を掘っていきました。

北側からの調査区全景はこちら。

お豆腐だとこんな感じ。
昭和39年調査区もお目見え。

そして発掘調査も着々と進み

土器に土偶などの土製品、石器に骨角器など発見された遺物が様々。
どんなものが展示されるか楽しみです。

お豆腐で「特別史跡加曽利貝塚 令和2年度発掘調査速報展」

なんやかんやで調査区で発掘された出土資料が展示されました。
いったいどんなものが出土したのか?
ドキドキしちゃいますね♫

出土資料/縄文土器〔中期・後期・晩期〕

加曽利貝塚はE式、B式土器が特によく聞かれますがそれ以外も様々なタイプの土器片が発掘。
時代によって様々な形の土器がつくられました。

出土資料/土製品〔土偶〕・石器〔石鏃・石剣・石斧〕・骨格貝製品〔貝刃・刺突具〕・獣骨

土偶の体の一部や耳飾の部分が発掘されましたぞ。
土偶は土製の人形で、女性の特徴を表現したものが多く、これまで約100点の土偶が出土しているそうです。
はじめに挙げた「山形土偶」は縄文時代後期のものが多く見られます。
また、耳飾は耳たぶに穴をあけて装着していたと考えられています。
他の地域から持ち込まれた可能性が高く、流通関係など、当時の社会を考える上で重要な遺物だそうです。

石器も様々。
石を磨いてつくられた磨製石斧、石を打ち欠いてつくられた打製石斧。
狩猟具である石鏃(せきぞく)も見つかってます。

ここは結構ごちゃごちゃしてますが、貝製品です。
貝類は加工して腕輪や包丁にするなど用途様々。
縄文人の発想力の凄さには驚かされます。

「特別史跡加曽利貝塚 令和2年度発掘調査速報」を受けて

南北に長い調査区は、北端で貝層範囲、中央~南側にかけて微傾斜する中窪地部分に該当します。
貝層ではない部分の地形が、縄文人たちによって意図的に造成された可能性が想定できるようになり、中央窪地部分の解明を目的とした調査区の設定となりました。
縄文人たちの土地利用の仕方を理解することは、この地が2千年にわたって生活の場として選ばれてきた事実の解明にもつながる、重要な研究課題です。(令和2年度発掘調査速報展展示キャプションより)

おしまいに

いかがでしたか?
千葉市が謳う都市アイデンティティのひとつである「加曽利貝塚」の新たな発見。
極めつけに今年は千葉市制100周年。
今回の調査結果やこの先も続くであろう調査が千葉市をより盛り上げる起爆剤となることでしょう。

それから、コロナ下でご不便なこともあるかと思いますが、豆腐だけではなく実物の展示物もぜひご覧になってみてください。
縄文パイセンの残した足跡に触れることで、「居すぎて分からなかった」千葉市の豊かさに気づけることかと思います。

↑おしまいは鍋で美味しく

【参考:加曽利貝塚博物館Webサイト〈令和2年度 加曽利貝塚発掘調査日誌〉】
https://www.city.chiba.jp/kasori/research/excavation/field-note/field-note_2020.html

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